2022.03.14

思春期妄想症で堕ちていった。愛ある言葉を無視した過去と現在の僕

こんにちは、Shinichiroです。僕は、過去に「思春期妄想症」を患っていました。(思春期妄想症についてはこちらご確認ください)今回は、思春期妄想症を発症していた学生時代から、心も身体も大人になった今までの心境の変化を書いていきます。

なかなか世間に馴染めない自分が嫌いで、不登校を繰り返していた高校時代から、就職したけれど挫折を経て現在に至るまでをご紹介します。そして今現在、思春期妄想症に悩んでいる人に対してのアドバイスも書いていきたいと思います。

思春期妄想症で狂った歯車

思春期妄想症の僕は、人生で初めての高校で孤立し、人生を挫折しました。「なぜ、こんなにもクラスに馴染めないのか?」と思い悩んだ過去は、今振り返ってもやはり苦しいです。

また、人生で一番辛かった時期は、大阪の印刷会社で先輩との人間関係がこじれた時でした。それでも、僕の心の声は「まだ次があるさ」とささやいていました。そして貯金を注ぎ込んで、大阪の服飾専門学校に入学したのですが、早期に挫折。その頃の僕は自分という存在が萎縮していくような感覚を覚えていました。

母がくれた優しい言葉が心の支えに

思春期妄想症はとても辛かったです。でも辛かったなりにも、いつだって一筋の光を心に持って生きてきました。辛い時期でも、基本的に人の助けは必要とせずに突っ走ってきた記憶があります。ただ「人への頼り方を知らなかっただけ」かといえば、そうなのかも知れません。

孤独感に襲われる時もあったけど、最後には家族が味方になってくれるという浅はかな考えもあったのでしょう。実際、10年もの間家族に守られながら無職の時を過ごしました。

特に母は高校を無断欠席し、思春期妄想症で病院にかかった僕に対して「どこに出しても恥ずかしくない、かっこいい子だよ」と、今では「無理しなくていいから、自分と病気のことだけ考えて」と言ってくれました。高校生の僕には、気休めとしか受け取れていませんでしたが、今ではこれ以上ない心の支えとして心に残っています。

身近な人を大切にしていくことが単純明快な生き方

今思えば僕は、母ほど愛のある人を知りません。母からは、何気ない一言でも、いつか発芽する心の種になる言葉があるということを学びました。

思春期妄想症を経て、大人になって学んだこと、それは「身近な人の言葉を大事にしよう」ということです。支えとなる言葉をくれる人に対して、即座にそのありがたさに気づける人間であり続けようと思っています。

人を頼ることを恐れないで欲しい

僕は、思春期妄想症の過去を経て就職するまで、とても未熟な人間でした。思春期妄想症のせいで人を頼ることができませんしたし、もしかしたら怖がっていたのかもしれません。中には優しい人もいたのですが、無意識のうちに僕はその人たちを裏切っていた可能性もあります。被害妄想から、自分では「裏切られている側だ」と思っても、実は「自分が先に裏切っている」こともあると思います。

思春期妄想症のような多感な状態でも、目の前にいる頼れる人の言葉を、軽視するような余計な真似は必要ないのだと思います。思春期妄想症の治し方は難しいです。しかしまずは「自分を信じて、人を裏切らない。今日一日の自分を褒めてあげる」そして「人に頼ってみよう」と考えてください。最後に「支えになってくれる人にありがとうを伝えていくこと」が大事です。そうすれば、きっと前向きな人生が切り拓けていくでしょう。