2021.11.01

ジルベルトで働いた6年間で、劇的に成長した心境と価値観

こんにちは、Shinichiroです。僕がジルベルトに在籍して6年の月日が経ちました。まず、長く働けたこと自体が僕にとっては、財産です。その経験を踏まえて今回は、仕事を続けることの大切さや、心が充実することの貴重さを伝えられればいいなと思っています。

A型事業所で長く働くことが生き甲斐になっている

僕がジルベルトで働き始めて7年目に入ろうとしています。健常者として働いていた期間(5年間)を、障がい者として働いた期間(6年間)が超えてしまったわけです。それだけ、ジルベルトで長く働くことが生き甲斐になっているのだと思います。そして僕は、ジルベルトで一番長く働いているスタッフ。社長や取締役よりも長くこの会社にいます。

長く働くことで、自分の居場所に対する愛着も深まります。勿論、6年前の当時の人事担当に評価された身であって「今の会社の首脳陣に採用されたわけではない」というひそかなコンプレックスもあります。しかし、現在の会社を運営する彼らは、それも感じさせずに明るく接してくれます。

また、ジルベルトで働いて一期一会の大切さを学びました。社内はもちろんのこと、地域住民やクライアントさんとの『めぐりあい』の大切さに気づけることが、心の充実につながっています。

入社当初は「社会的格差がある復帰施設」と捉えていた

ジルベルトに入社した当初の印象について書き記しておきたいと思います。

僕は、ジルベルトに入る前の3ヶ月間、精神病院に入院していました。僕は、精神病院に入院した時点で心が沈みきっていました。「健常者と同じ目線で生きる」という当時の僕の志(こころざし)が病院でへし折られていたのです。病院を退院し、人間関係に飢えていた僕が辿り着いたのが、就労継続支援A型事業所のジルベルトです。この着地点は、僕にとって「安心できる場所」でした。

ただジルベルトの開所当時は、社会の常識も非常識も、一つの部屋の中に混在していた状態です。思い切って表現するならば「社会から放り出された人達の吹き溜まりじゃないか」と感じていました。ただそれでも、目線を合わせてくれる仲間がいて、一つのコミュニティーができていて、そこに毎日通い続けることができたことが幸せでした。毎日の生活を肯定してくれる仲間がいたからこそ「グウタラに生きている」という当時の後ろめたさでさえ、今では「成長の過程」だったと思えるのです。

さてここからは、6年間の期間を経て「僕」や「ジルベルト」がどのように変貌したのかを書いていこうと思います。

入社してから今までに感じた「成長」と「継続」

ジルベルトの6年間の変化と、僕の心理状態の変化。「一体何を得たのか」について思い起こします。僕の履歴書を契約書に変えてくれたのも、グウタラな自分に尊厳を与えてくれたのも「ジルベルト」という会社でした。しかし、僕が本格的に社会復帰するためには、もっと長い時間をかけた意識改革が必要でした。その機会は、新しい経営者のもと行われます。会社の理念や企業ポリシーが生まれた頃から、僕自身の意識も変わってきました。「成長」の意識を得たのです。

この頃、自分の長所として見えてきたものは「継続力」でした。平均的な成果を積み上げる中でも、現状は「このポジションはあなたが稼働しないと替えが効かない」とされる作業も一部にはあったりします。そんな瞬間は「続けてきて良かった」と心が潤うひと時です。勿論、後輩に引き継ぐまでが仕事ですが、心が潤う瞬間をより多く見つけて、経験値にしたいと思っています。そんな事を感じながら生きた6年間でした。

将来の夢は、豊かな価値観を育むこと

僕の将来についてやりたい仕事や夢について改めて考えてみました。40歳を過ぎると「夢」というものが、抽象的なになりますね。「他人の幸せを願う大人になりたい」とか「頼られる大人になりたい」という単純に「人間性の豊かさ」を追い求めるようになりました。現実問題として、社会人にとっての「最低限必要な経済力」の目標は、今も心の中に持っています。でも僕の将来を決めるのは「稼ぎ」だけではないとも思っています。

なぜなら、今ある、日々の充実と学びの機会を犠牲にはしたくはないからです。

今学んでいることを生かせる職場に就くことが「目標」であり、豊かな価値観を育むことが「夢」だと考えています。例えば「自立して働ける程に英語が上手くなりたいな」とか思っています。

社会の一員として今まで学ばせて頂いたジルベルトには本当に感謝しています。ジルベルトで働いて過ごした日々を、悔いのない経験と感じられるように向上していきたいと思っています。