2022.03.31

成長と挑戦を諦めない。統合失調症と付き合いながら夢を追いかける

こんにちは、Shinichiroです。今回は僕のライフスタイルや夢ついて紹介していきたいと思います。障がいを自覚もせずに、常に前向きに夢を持って過ごした少年期。両親のおかげで色んな景色を見る事ができた青年期、障がい者として生きた中年期。そんな人生で感じた物足りなさや、国の制度の恩恵などについて振り返りたいと思います。

働き続けることで生活様式が成り立っている

まずは、現在の生活様式から紹介します。僕は父母と3人暮らしです。毎朝起こしてもらい、毎晩ご飯を用意してもらい、毎日お風呂の準備をしてもらっています。月収の3分の1を毎月家に入れていますが、それでは全然足りないほど、お世話になっています。

僕は統合失調症と遺伝性パーキンソン病を併発していますが、その障がいによ苦しさは、今はあまり感じていません。むしろ、障害者認定前の無職だった時期の方が、苦しかったし辛かったです。僕の経験から、人間は安静にしていれば精神が整うとは言い切れないという教訓があります。むしろ働き続けることで心身が整うこともあるのです。

思春期妄想症と統合失調症で生きづらさを感じていた

16歳の頃に「思春期妄想症」と診断されました。障がいを抱えるまでは、普通の少年だったと思います。僕は少年期に振戦というリズミカルに足が震える症状や、音声障害はありましたが、まだ子供の僕にとって、生きていくのに特に支障はありませんでした。

僕の少年期は剣道とサッカーとスキーに没頭していました。体を動かすことが生活そのものであり、学習を含めたその他の生活は僕にとって余分な時間でした。その頃は日々、夢を持って生きていました。

時は過ぎ「統合失調症」として障がい者手帳を取得したのが、35歳の時です。障害認定を受けた35歳までの僕は、とにかく昼夜を問わず徘徊していました。パーキンソン病の症状で脚の付け根の違和感が拭えなかったためです。脳が萎縮した状態の僕は、心の中では「眠らせてくれ」と思いながらも、じっとしていられない状態でした。その症状は、10年もの間、僕を縛り付けました。

就労して成長を自覚。そして障害認定を受けたことで生きやすさを得る

僕が認定された「統合失調症」は、社会人になってからの発病です。障害認定を受けて、すぐに就職活動を始めて、家の近所にできた新しい就労継続支援A型事業所ジルベルトに入社しました。無職だった時期に心に吹き溜まった「自分の力で稼ぎたい」という気持ちをジルベルトは受け入れてくれました。

仕事を始めても脚の付け根の違和感は拭えず、許可を得て、椅子の上で胡座をかいて作業していました。あれから6年経った今は、なんとか足を揃えて仕事できるようになりました。

生活様式の変化もありました。障がい者には「福祉乗車証」という神戸市内の地下鉄やバスが乗り放題になる国の援助制度があるので、僕は神戸市内を食べ歩きするようになりました。コロナの緊急事態宣言が明けた2021年の10月からはInstagramや食べログにも投稿するようになりました。

「美しい景色を見たい」という夢のために成長を続けたい

統合失調症である自分の行方を考えた時に、どんな生活を送ることが理想なのかを考えてみました。

僕の父親は、僕に色んな美しい景色を見せてくれました。今の僕では実現できないような素敵な経験です。それを実現させていきたいです。「素晴らしい景色を見たい」というのが今の夢です。その実現のためには「何をどうするべきなのか」が大切です。

僕は42歳の統合失調症患者です。障がいはありますが、自力で目標を実現することを、真剣に考えなくてはいけません。今、自分に何が必要なのかを模索しています。また、挫折してしまったことや反省点の分析なども大切です。夢を実現させるために、常に成長し挑戦する存在であり続けたいと願って過ごす毎日です。