2022.02.17

パーキンソンや統合失調症による「不安」を乗り越える為に必要なこと

こんにちは、Shinichiroです。障がい者はいつも不安と隣り合わせで過ごしています。僕自身の体験談を通して、同じような境遇の人たちが、いくらかでも共感したり、障がいを抱えて生きる勇気を持ってくれると嬉しいです。障がいを抱えながら「生きる選択」を選び続けることは尊いことです。

僕が感じている遺伝性の病気への恐怖と、統合失調症という病気の難しさ

僕は、遺伝性パーキンソン病の家系に生まれました。生まれた時に「オギャー」という甲高い声では泣きませんでした。「モァー」とうなっていたそうです。構音障害(こうおんしょうがい)というものです。一般的には、発音障害というと分かり易いかもしれません。(上手く発音ができない)パーキンソン病の遺伝を象徴する障がいです。

まず、生活面での心配ごとですが、父親がパーキンソン症候群を発症しており、親戚にも重篤なパーキンソン病患者がいます。そのため、自分の将来にも不安が募ります。

自分が遺伝性パーキンソン病の家系に産まれたことを知ったのは30代になってからです。症状が比較的軽いため、僕自身は難病認定は受けていません。ですが、神経内科の医師の診断書には「パーキンソン病」と明記されており、将来を心配している部分はあります。今が41歳で、本格的な発症まで、あと20年保つか保たないか。いつも不安と共に過ごしています。

僕は、自分のことをいつも「パーキンソン症状を伴う統合失調症」と紹介しています。統合失調症に関しては、とにかく「耳鳴り」で不安な思いをして過ごしています。耳鳴りがひどい時には、2〜3日間眠れないこともあります。ただし、精神安定剤で治癒するので耳が悪いのではなく、精神的なものだというのが医師の見解です。

パーキンソン症状による下肢の震えと戦った40年間

僕が40年生きた中で、自分の障がいとどう向き合い克服してきたのかを紹介したいと思います。

小さい頃の僕には、足に振戦(しんせん)という症状がありました。振戦とは足首がリズミカルに震える症状であり、遺伝性パーキンソン病の典型的な症状です。20代半ばまで振戦は続きました。振戦は、仕事と向き合う中で、やはり目立ってしまう症状でもあります。

20代で印刷工の職についた僕は、仕事中に重心を低くするように構えて、太ももから腰にかけての圧力で足首を固定するように心掛けて過ごしたのです。すると、振戦はいつの間にか消えていました。

しかし、30代で今度は、骨盤と接する脚の付け根に異常が出始めたのです。関節を動かし続けなければ眠れないし、食事のちょっとした時間でさえも座り続けることが困難でした。30代の僕は、昼夜を問わず、毎日地下鉄の隣の駅まで歩いては帰って、歩いては帰ってを繰り返し、何周も歩き続けることで、苦しみから逃れていたのです。そして、当然その期間は働けるような状態ではありませんでした。その頃の僕は、人生の中で、最悪の地獄の日々を過ごしていました。

脚の症状がほぼ気にならなくなるまでに、約10年かかりました。20代で振戦を抑えた副反応が30代で来たと思われ、発症後は時が解決するまで、ひたすら忍耐の日々でした。今は、割とストレスなく過ごせています。振戦の克服には薬の服用と十分な睡眠が必要です。

夜の21時以降は煙草を吸わないとか、早起きして朝ごはんをしっかり摂るなど、当たり前かもしれませんが、生活習慣の質の維持を心掛けて病気と向き合っています。

障がいへの不安と向き合うために生活を仕組み化している

障がいを負っている限り「不安」は必ず訪れます。僕が普段「不安」とどう向き合っているのか、について紹介していきたいと思います。

今の段階では難病認定はされていませんが、いつ、パーキンソン病の本格的な症状が現れるか分かりません。だからこそ、身体を鍛えることは、一つのストッパーとなり得る習慣だと考えているのです。体を鍛えた後、眠る前のプロテインが身体に良いという話を聞いたことがあり、それも実践しています。僕なりの工夫の一つです。読書をする習慣も、集中力を身に付ける為の役割を担っていると思います。自分の生活を仕組み化して、身体の調子を整える継続力は重要であり、不安解消のための一つの手段です。

不安を乗り越える為に、目的意識を持って行動しよう

僕は「明確な目的意識を持って行動することが、不安を解消してくれる」と信じています。

僕の障がいは軽度です。それでも、昼夜問わず歩き続けるしか脚の付け根の違和感から逃れられなかった過去があります。振り返ると、徘徊(はいかい)する行動自体が「最終的に辿り着いた、完成された克服手段」だと思い込んでしまっていたのかもしれません。不安は不安のまま、苦しみから逃れることだけを考えていました。過去の自分には申し訳ないけれど、当時はきっと逃げていただけだったと思います。

本当は、もっと核心をつく目標が大切だったのです。例えば、克服手段の次にできることは、読書などで集中力を上げるための努力などです。今より更に自由を(余裕を)獲得するために、体を鍛えることも必要だったと思います。

以前の切羽詰まった内向的な思考を「次の目標に向けて明るい気持ちで努力する」にアップデートさせてくれたのが、ジルベルトという会社でした。

今できることを限界まで頑張ったところから、また更に、新たな目的が生まれるべきなのだと思います。実は、皆、そうやって生きているのだと思います。

そして、迫り来る病気の不安への対処法として、一つ有効だと思うのがスキルを身につけることです。例えば僕は、タッチタイピングの練習をすることで、頭の中が整理されます。更に、本を読むことで集中力が増幅しました。

そして会社に入って思ったことは「障がい者 × 福祉 = 配慮」だけではない何かがあるということです。それは、職場の皆さんで、共鳴しあって社会の波に乗れるように導いていくことだと思います。そんな場所がA型事業所なのです。

今は、働くことが、自分の人生において重要な時間であり、評価されることが何より幸せです。その分、ご指摘を受けて凹むこともあります。でも、長年病気に対する不安と向き合っていた経験と比べれば、心に傷がつくまでには至りません。ご指摘も含めて、自分をアップデートすることが、生きがいになっている瞬間があります。

不安なことは数あれど、働く価値に気付かされる環境に身を置くことは大切であり、貴重なことです。皆様にも共感していただけると幸いです。