2022.01.05

うつとの向き合い方。人生を終わらせようとした過去を経て

こんにちは、Yuyaです。自分自身の障がい(うつ病)と向き合い続けて、5年近く経ちました。症状は軽いときもあれば、重いときもあるので苦労しています。しかし、うつ病という障がいを抱えつつもここまで生きてこられたのは、私の誇りです。

今回は、私と同じような障がいを抱えている人達や、どこか生き辛いと感じている人達に対して少しでも楽になれるような考え方を紹介していきます。

私は100人中6人がかかる障がいを抱えた

私が抱えている障がいは、日本では100人に約6人が経験していると言われる気分障がいの1つ「うつ病」です。うつ病は、精神面や身体面の両方に影響を及ぼします。

  • 精神面→疲れがたまってくると、脳の中に自分を責め続ける言葉があふれてくる。
  • 身体面→不安を解消しようと思って、必要以上に食べてしまったり、眠れなくなったりする。

今は医者と友人、家族に相談しながら対処できていますが、発症した当初は今とは比べものにならないくらい症状が重かったです。

地獄から始まって、行きついた先は自殺未遂と閉鎖病棟

新卒の頃、私は早く即戦力になりたいと考えて毎日努力していました。しかし、当時の仕事は自分に合いませんでした。それでも体に鞭を打って日々仕事をしていましたが、それは間違っていたようです。そこから私は、心身共に落ちていく日々を体験することになるのです。

まず、仕事のことが不安になって、夜は基本寝れない。寝ようと努力しても、頭の中にマイナスの言葉がとめどなくあふれてしまう。また、世界中で一番嫌いな人間は「自分」と答えるくらいに自己評価は最低でした。自分の存在を消してしまいたい。そう思って自分を殴ったり、リストカットのマネ事もしました。

けれども、気分は晴れません。

最終的には両親に対して「自分が生まれてこなければ、二人は自由に生きれたかもしれない」と、思った私は2回自殺未遂をしました。1回目は両親に対して遺書を書き、早朝嘘をついて外出し、山に向かいました。山の中でなら、崖とかがあるので死ぬにはもってこいだと思ったからです。ただ、いざ実行しようとしたら強烈な吐き気と恐怖がこみあげてきました。この期に及んで「まだ生きたい」と感じている自分が無性に情けなかったのを覚えています。

結局、遺書を読んだ両親によって私は家に連れ戻されました。泣きながら「何てことをしてくれたんだ」と言われ、自分がとんでもないことをしてしまったのだと改めて実感しました。「二度と自殺はしない」ことを両親に対して約束しました。しかし、適切な治療も受けていなかったので、症状は一向に良くならないままです。

そして、2回目の自殺未遂を起こしてしまいました。仕事上の適性や、ちょっとした説教などを重く受け止めた私は「今度こそ死んでやる」と思い、窓から飛び降りようとしました。しかし上司や同僚に見つかり、そのまま病院へと連れていかれました。そして、このままでは命が危ないと診断され私は閉鎖病棟でプログラムを受けることになったのです。

今考えると、何て馬鹿なことをしたのだろうかと思います。しかし、そんな偏った考え方しかできなくなるほど「うつ」は怖いのです。

うつは暴れ馬だけど、きっと手懐けることはできる

うつの症状には波があります。それは、まるで「暴れ馬」に乗っているのかのようです。ただ、暴れ馬であっても「生き物」であることに変りはありません。よって「手懐けることができるはず」と考えられるようになりました。そして、今自分が乗っている馬そのものを変えるではなく、その馬の長所と短所を見極めた上でコースを進んでいくのが「人生」です。今の私は「手懐け方=付き合い方」を勉強している最中になります。

うつは個性の一つ。だから共に生きていける

障がいがあることは、以前の私にとって後ろめたいことでした。しかし、うつになったり、生きづらさを感じている人達の話を聞いたりする中で考え方が変りました。そして「うつは病気ではなく個性の一つ。付き合っていくのは中々苦労するが、共に生きていくことができる存在」だと思えるようになりました。これからの人生、ものすごくしんどくなることもあると思いますが、自分なりのペースで歩いていけるようになりたいです。