こんにちは、Shinichiroです。今回は統合失調症やパーキンソン病を患って辛い思いをしている時に、僕を支えてくれた人逹の話をしようと思います。両親もジルベルトのサポーター(支援員)さんも、辛い時期の僕を支えてくれました。自分自身で、障がいを認知するようになって、なぜこれほどまでに人に恵まれるようになったのかを考えました。
大切な人との大切な思い出は多いけど、一番支えてくれたのが母
自分にとって大切な人とはどんな人たちだったでしょう。
学校の成績が悪くて、純朴すぎた少年期にずっと僕の味方をしてくれた同級生の女の子。小学1年生から中学2年生まで続けた剣道の道場で日本の格技の本質を教えてくれた先生方。専門学校で東京という都市に馴染めずにいた僕を、自分が主催するバンドのライブに連れ出してくれた同級生。寮の駐車場で、車の運転を教えてくれた先輩。人生で初めてのバイト先で自分を暖かく受け入れてくれたお姉さんたち。それでも、今まで支えてくれた人を思い浮かべると僕の人生において、大きな支えとなった存在はやはり『母』だったと思います。
僕の思春期の辛さを受け止め、想ってくれた母
僕は現在、両親との3人暮らしなのですが、年金暮らしの父は圧倒的な知識量とコーヒーやお酒への愛情に富んだ人です。母は、70歳を過ぎても写真室の事務としてキャリアを重ねている尊敬すべき人です。
僕が、高校生の頃に「思春期妄想症」で病院に罹った時の母の対応は暖かいものでした。玄関先で、学校に対する拒絶反応を起こした時の僕の表情は、母にも伝わったようで、その時に母も共に危機感を覚えたのだと思います。
ジルベルトのサポーター(支援員)さんには心を許せる
母には心配を掛け通しですが、僕のことを1人の人間として評価してくれるし、僕のライフプランを尊重してくれるし、肯定してくれます。
正直、兵庫県に生活の基盤を移してからは、両親以外の人に心を許すことはできていません。でも自分のことを認めて肯定してくれる人ならいます。ジルベルトのサポーター(支援員)さんです。今の僕にとってのキーパーソンです。ジルベルトという会社の中で、僕のことを「一端を担う人物」として接してくれています。
ジルベルトで成長するために、まだまだ頑張りたい
「自分にとっての大切な人」にどんな恩返しができるでしょうか。
本来ならば「経済的な支えになって恩返しがしたい」と思います。人生にプライドを持つために就職するということも時折考えます。しかし、今の生活を失うことへの不安感は否めません。そして、まだ、自分には今の仕事でやり残したことがあるという思いもあります。伸び代を埋めることも重要であり、それはジルベルトだからこそできることだと思っています。
4時間〜6時間働いて、4時間程は親と一緒に暮らす日々の生活のなかで、自分は幾らかでも親や支援員さんの期待に応えられる存在となっているのだろうかと、迷うこともあります。でも、迷うのが悪いことだとは思いません。頼られる存在になるまで、しんどくても頑張りたいと思っています。
ずっと支えられてきた僕が、いつの日か支える側の人間になるためにも、今日も自分を信じて生きていこうと思います。