2022.01.11

孤独に苦んだ高校時代。思春期妄想症と共に生きる

こんにちは、Shinichiroです。今回は、僕が初めて自分が「精神の病気」だと気づいた、高校生の頃の話を紹介したいと思います。

高校での3年間を振り返って見ると‥。怖かったし、辛かった。何が怖くて辛かったって、孤立していたことが嫌でした。それで不登校になり、負の連鎖が始まってしまった‥。でも今振り返れば、孤独なりにも「少し外れた道」を楽しめただけでも良しとしようと思っています。

高校生の頃から付き合っている「思春期妄想症」

僕は高校生の頃、初めて神経内科に行きました。クラスで常に浮いていて「自分だけが避けられているのではないか」と思い込んでいたのです。発症したのは思春期妄想症(ししゅんきもうそうしょう)というもの。高校生ぐらいの歳に多い悩みであり、自臭症(じしゅうしょう)や潔癖症(けっぺきしょう)タイプの症状を持っている人が多いです。でも、神経内科のお医者さんは息と体臭をチェックして「異常なし」と宣言して終わり。

現在は状態がだいぶ改善されておりますが、神経内科のお医者さんに、自分の匂いを確認してもらうこともあります。もしも初めて通院したあの時に障がい者手帳をもらっていれば、障害年金も受給できていて「もっと気楽な人生を歩めたのかな…」とずっと思っています。

落ち込みがエスカレートしてやがて不登校に

高校生の頃に、傷ついたことがあります。「頭大丈夫か」「何の匂い?」「また1人じゃん」などと聞こえたのです。しかし、これはぼくの妄想によるものだったと思います。そんな流言(りゅうげん=根拠のない噂、デマ)に気持ちが沈み込むことがありました。今となっては聞き違いとして、気持ちを整理できています。

また、対象が自分ではなく別のクラスメートに向けられた冗談で気持ちが落ちたのは「こうやっていじめって始まるんだな」という言葉。こういった発言が聞こえて感化され、落ち込んでしまったこともあります。

実際は、はぐれていたら誘ってくれます。嫌われていたのかというと、そういうわけでもなかったと思います。しかし僕は「不登校」になりました。神経過敏だったと思います。環境に(自分勝手な)失望を抱いていました。

「音楽」と「スキー」が僕を救ってくれた

僕は中学生までは極めてクリーンな人間でした。しかし、思春期の最後の3年ほどで自己承認(じこしょうにん)ができなくなってしまったのです。原因は、相談できる相手がいなくなったから…これが大きいでしょう。

そんな時に救ってくれたのが「音楽」と「スキー」でした。僕が知っている中で、最高の気分転換。当時の音楽はビーイングブームが終わりミスチルやスピッツ、安室奈美恵が出始めた頃です。また、毎晩ナイターでスキーをしていました。

音楽と、スキー。この二つのことにより毎日の生活が意味のあるものになりました。ボンジョビ、エアロスミス、スマッシュパンプキンズ…何でも聴いて、散歩の際などは「この音楽の似合う場所はこの通り(この景色)だな…」などと過ごすようになりました。そして、この習慣は現在の自分を築き上げた礎(いしずえ)になっています

若くして障がいを持った人たちに伝えたいこと

僕の過ごしたクラスは「特別進学コース」でした。そのため、意識の高いクラスメートに囲まれてプレッシャーを感じていたのです。そして僕は、不登校という選択をしました。みなさん、登校しないという抜け道も選択肢に入れても良いと思います。そしてどんな人でも、自分の居場所を持つことを諦める必要はありません。

青春は、誰にでも巡ってきます。青春は自分の手で掴み取りましょう。時には努力も必要ですので、障がいに負けず、自分を奮い立たせることも大切でしょう。

大人になった今の僕には、社員20名ほどの会社で「連れ」や「仲間」と呼べる人が多くなりました。思春期の頃は、悲観的な感情が雪崩(なだれ)のように襲いかかることもあります。しかし、大人になって安定した人間関係と自由をが手に入ることもあるのです。今を悲観しすぎず、歩みを止めないでください。